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八角の台湾旅行記

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2012年 09月 05日

泳ぐことの喜び

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わたしと水泳の関係をたどると、記憶にある一番昔は父が横にいた。
よく行った江ノ島の海水浴場だったと思う。
5歳くらいだった。

父が泳ぎを教えてくれていた。
思い切って手を離したら、足が砂を離れ体がふわりと浮いた。
水の中で体がくるりと回転した驚きと怖さ、
見開いた目に映ったのは、少しにごった黄緑の海水の色。
慌ててもがき、海水を飲んでむせた。
父がグイと、体を引っ張ってくれた。

次は小学校一年生のとき。
目黒の小学校のプール。
期待していたのに、ツベルクリン反応が陽転したため、
プールサイドで見学させられた。
心底がっかりした。

3年生で転校した学校にはプールがなかった。
夏、船橋ヘルスセンターのプールに家族で行った。
そのとき母が足をつって、痛がったのを覚えている。

中学校、高校では水泳の授業があって、当時のことなのでけっこうスパルタの練習をさせられた。
あの頃スクール水着というものがあったのかどうか、わたしの学校は各自好きな水着を購入した。
黄色地の派手な模様の水着は気に入っていたが、泳ぎは上達しなかった。


泳ぐことの喜び_a0129636_4263125.jpg

20代の終わりの頃、原宿の学校で知り合った敬愛する先輩が、千駄ヶ谷のプールで、
泳ぎの効用と基本を教えてくれた。

その後渋谷の職場で働くようになってからは、
仕事帰りによく南千住で下車して、荒川区民プールに行った。

自分の住まいの横にスポーツジムができたのは20年くらい前だろうか?
プールが近くにできてうれしく、すぐ入会したがそれほど熱心には泳がなかった。

ところが去年の暮れ、思いついて泳ぎのレッスンを受けてみることにした。
長いこと自己流で泳いできて、それで別に不自由はなかったが、
正しい泳法というものに興味を持ったからだ。

泳ぐことの喜び_a0129636_4271895.jpg

それで8ヶ月経過して、
いまはほとんど毎日、一時間くらい泳ぐ。
やっと水への恐怖心と緊張から開放されてきた。

体が水に浮くこと、沈むこと、水をつかむ感覚。
水平移動、無重力空間の体現。
深い呼吸。
体が引っ張られ、伸ばされる快感。

泳ぎの型のイメージをまず持ち、それに自分の体を近づけていく。
繰り返し泳ぐ中で、少しずつ余分なものを削り取り、
すっきりした型にしていく作業を、自分の体を使って行う作業。

泳ぐことの面白さがわかってきた。
この楽しみは本物だと思う。

by bajiao1313 | 2012-09-05 04:56 | 日常のこと | Comments(1)
Commented by mamag_riry at 2012-09-08 07:37
私は我が家で唯一のカナヅチなのです。

泳ぐことの出会いはお父様との小さい頃の記憶というのも幸せですね。
泳ぐことってこんなにすてきなことなのですか。
水の中の世界、その喜びが泳げない私にもありありと伝わります。
こんなふうに文章で伝えられることもすばらしいです。


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