カテゴリ:文男さんのこと( 8 )

夏蜜柑が好き

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子どもの頃の話。
初夏から夏にかけて出回った夏蜜柑は、
今のように甘いものではなかった。


大きくてごつごつしていて、皮も果実も淡い黄色。
そして恐ろしく酸っぱかった。
今思い出しても口の中に唾液がわいてくるほど…


父はその夏蜜柑が大好きで、良く食べていた。
食べ方はちょっと変わっている。

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几帳面に蜜柑の皮をむき筋を取り、
皿の上に順次並べる。
最後に塩をパラパラと降りかける。

「こうすると酸が中和されて甘くなるんだ」と言っていたが、
子ども心にもとても信じられなかった。


父はタオルをそばに置いて、汗をふきふき食べていた。
汗が吹き出るほど酸っぱかった夏蜜柑を、なつかしく思い出す。

写真の蜜柑は「晩柑」。
爽やかな香気と清々しい味わい。

齢をとって、年々夏蜜柑が好きになってきた。

by bajiao1313 | 2011-06-01 13:32 | 文男さんのこと | Comments(2)

納豆が好き

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父は茨城県下館市出身、
若い時から東京に出てずっと東京暮らしだったが、
茨城県人らしく、納豆が大好きだった。

昔、納豆の包装は藁苞か、経木で三角に巻かれたものだった。

父は納豆の食べ方にはこだわりがあって、
練って糸を引いたものは嫌がった。

納豆の藁を開き、口に水を含み霧をプッとかける。
器にあけて塩をふり、練りからしと青のり、
長葱の小口切りを加えてさっくりと混ぜる。


私も納豆が大好きで、毎日でも食べたいが、
今は品薄でめったに手に入らない。

私の食べ方は、練りからしと葱を入れ醤油をたらしてよく混ぜる。
チーズを小さく切ったもの、たくあんの千切り、アボガドなどと和えてもおいしい。
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昔の朝ご飯はお釜で炊いた飯、小松菜の味噌汁、
納豆に、自家製の白菜の漬物が定番だった。

朝早くに豆腐屋が自転車で引き売りで来るので、できたての納豆を買う。
そのほかには「しじみやーあさりー♪」と、貝も売りに来る。

今から思えば贅沢な朝ご飯だった。
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by bajiao1313 | 2011-04-12 18:55 | 文男さんのこと | Comments(7)

電気のこと

子どもの頃、昭和30年代の話。
日常は60ワットの電灯が部屋の明かりだったが、
お客様が来る日や、ハレの日には100ワットに付け替えていた。
電球を替えると隅々まで明るくなり、心がうきうきしたものだ。

おばあさんはいつも「もったいない」と言って電燈を消していた。
子ども心にも電気の大切さが身にしみた。
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トイレは小さい豆電球しかないので、怖い場所だった。
急いで入り、急いで出た。
7歳のころ、便器に片足を落としたことがある。
片方の足が宙に浮いた。

昔は汲み取り式で深い穴の中に排泄する。
誰かが足を引っ張たように感じ大泣きした。
怖かった…。
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昭和40年代になると、我が家にも電化製品が入り始めた。
掃除機がきた時は大騒ぎだった。
畳の上にわざと紙くずを落して家族中が見守る中、
新し物好きの父が掃除を初めた。

ごみがどんどん吸い込まれてあとかたもなくなる。
私たちも使ってみたいが、父はいつまでも掃除を止めない。

やっと私の番が回ってきたが、もうどこもきれいになっている。
そこで、階段を掃除してみた。
細かいほこりが一気に吸い込まれていったのを覚えている。

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昔ははたき、ほうき、ちり取りで掃き掃除をし、その後雑巾がけをした。
我が家は一日2回、3回と掃除をしていた。
夕方母と妹と3人で掃除をし、玄関に打ち水をして帰ってくる父を迎えた。

掃除機が来てから拭き掃除が減った。
細かいほこりがなくなるので、きれいになったように感じるが、
なんといっても汚れを取るのは、雑巾を使う掃除がいちばんだと思う。

汚れをぬぐい磨くことで、
床でも柱でもテーブルその他家具調度品に愛着がわき、
大切に使おうという気持ちになる。

by bajiao1313 | 2011-03-18 15:04 | 文男さんのこと | Comments(5)

父の思い出

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今年も今日で最後の日。
良い一年をありがとうございました。

昨日は久しぶりにやってきた妹とたくさんおしゃべりをした。
夜は仏壇の前に座卓を移動して、位牌の父母と夕食をともにした。

私たち姉妹は年子、一緒に育った。
同じ経験をしていても、それぞれ興味や意識の範囲が違うせいか、
記憶に残っている部分が微妙にずれている。

それらを張り合わせ、つなぎ合わせて、ひとしきり昔話に花がさいた。
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出張の多かった父だった。
長野や東北、ときには北海道に出かけていくと何日も家に戻らない。

妹が「お父さんは家に戻る前日必ず電報をよこしたね」と言った。
私はすっかり忘れていたが、
「アスアサ カエル フミオ」
と妹から口を出た文面で、一挙に当時の気分が蘇った。

母と3人でのんびり過ごしていた時間が終わり、
緊張感と父に会えるうれしさとがない交ぜになった気分。


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私たちへのお土産を携え、玄関に現れる父を家族そろって出迎えた。
いとしい父母の姿を思い出した。

by bajiao1313 | 2010-12-31 07:42 | 文男さんのこと | Comments(2)

うなぎ

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去年から始めた梅干作り、今年の出来栄えもなかなか。
梅酢が上がり、赤紫蘇で美しく色づいたが、
天候不順でからりと晴れた夏がなかなかやってこない。
梅干は強烈な真夏の日差しに三日三晩あてて、最後の仕上げをする。
この梅を干す作業が大好きだ。

昨日は午後からすっきりと晴れたので思い切って干した。
なんともいえない梅の芳香。赤紫蘇のいい色。

ありがたいことに今日も晴天で、湿気が少ない。
ずいぶん乾いて表面が白っぽくなってきた。
一粒、つまんで口に入れたいくらいの見事な梅干だ。
自家製の梅干は本当においしい。

梅干の (注)食べあわせ は鰻。
梅干を引っくり返しながら昔のことを思い出した。
父は釣りが大好きで、鯉やフナなどを釣ってきては池に放していた。
鯉は悠々としているので泳がせておく。
フナは七輪で焼いて酒の肴にする。
よく庭で1人で、楽しそうに作業をしていた。

ある時期うなぎ釣りに凝った。
器用で集中力があり、眼一杯努力する父だったので、
ほとんど毎晩のように出かけて行っては、うなぎ獲得に執念を燃やしていた。

そして毎回のように、うなぎを何匹も釣り上げてくるようになった。
天然のうなぎは腹が黄色くてよく太り、ぬめぬめ、にょろにょろと活発に動き回る。
長さは7~80センチもある大うなぎ。
母は気味悪がって遠巻きに眺めているだけ。妹もあまり関心を示さない。
大漁の喜びを共有するものは、飼い犬のペスだけだ。

雑食性のうなぎは、金魚やめだかを食べていまうので池に入れられない。
大きなたらいに水をはり、倉庫に置いて数日間泥を吐かせる。
たらいに沿って体を丸く曲げた大うなぎが数匹。

このうなぎたちが元気一杯で、夜中に逃げ出す。
朝、たらいが空っぽになっている。
床にあとがついているのでたどっていける。
たいてい隣の家の庭で、泥まみれで白くなったうなぎが発見された。
「また逃げてきましたよ」などと、お隣さんが知らせてくれることもあった。

父は大きい順から「金、銀、銅」などと名前をつけていた。
鯉の場合は下に太郎がつく。「銀太郎」とは二番目に大きい鯉ということになる。
うなぎはすぐ裂いてしまうから、太郎はつかない。
「そろそろ金をしめるか‥‥」などと父がつぶやくと、うなぎは運命の時を迎える。

泥を吐かせたうなぎは庭の流しで父が捌く。
専用のまな板に暴れるうなぎを乗せる。
頭に急所があってそこをぎゅっとつかむとおとなしくなるらしい。
その頭を、釘でトンと打ち付け、すかさず小刀でスーと腹を割き、骨をとる。
実に鮮やかな手際であっというまだった。

切り身になったうなぎは庭の七輪で焼く。油が落ち、煙が上がる。
ペスが鼻をくんくんさせている。
切り身は特製のたれに漬けては、何回もあぶり焼きにする。
時には蒸してみたりして、研究熱心だった。

夕食にうなぎの蒲焼が出る。艶々して大きい身。
母はもちろん箸をつけない。
そこで、長女の責任(勝手に自分で思い込んでいた)として私が食べる。
ごりごりして、甘辛で、噛み切れないほど厚くて、かたくて‥‥。
何も考えないようにして食べたから、味はあまり覚えていない。

後年、うな重をご馳走してもらい、あまりの違いに愕然とした。

(注)食べ合わせ:食い合わせともいう。いっしょに食べてはいけない食べ物の組み合わせ。
昔はお腹をこわして亡くなる子どもや、チブスなど消化器系の病気が多かったので、
消化の悪いもの、油分の多いものを食べるときはとても気をつかった。
西瓜と天ぷら、タニシとそば、その他色々。夏の食品に多い。

by bajiao1313 | 2009-08-15 15:01 | 文男さんのこと | Comments(3)

野牡丹

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野ぼたんは南国の木で、細かい毛の生えた卵型の葉っぱと濃い紫の5弁の花が美しい。
息子の家にもウッドデッキに鉢植えのものが一本あり、枝がひょろひょろと伸びて、
たくさんの葉を茂らせ、今涼しげな花が満開だ。

昨日こんなことがあった。
息子夫婦は4人の子どもに恵まれた。
上3人はやさしい女の子たちで、落ち着きがある。
年が離れてできた一番下は、1歳半の男子で活発な子。
動きがすばやく自己主張が強く、姉たちとは行動の仕方が全く違う。

その子が朝、二階の出窓から転落した。
鍵は紐で括ってあったのだが、赤ん坊にしては手の力が強く、
集中するこの子は紐を取ってしまった。
そしてまっさかさまに落ちた。

ところが、かすり傷で済んだのだ。
後で色々調べてわかったことだが、全く理想的な落ち方だったのだ。
出窓の下は3畳ほどのウッドデッキがある。屋根は柔らかい透明のプラスチック製。
まずそこへ頭から落ち、大きな穴を開けた。
そばに渡した添え木が真っ二つに折れていた。
ここで衝撃をずいぶん吸収できたと思う。

それから屋根の下にあった、野ぼたんの木に受け止められて幹の根本に深い亀裂を作り、
最後はぐるぐる巻きになっていたゴムホースの上に着地した。
地面にちょこんと座り、顔から血を流して大声で泣いていたそうだ。

すぐ病院へ行き、脳と手足のレントゲンを撮ったが問題はみられず、
屋根を突き破った際にできた顔の傷と、手足のかすり傷だけで済んだ。
夕方にはすっかり元気になった。

この恐ろしい出来事がこんなふうに済んで、私達は不思議な気持ちにうたれた。
息子の祖父であり我が父親「文男さん」や、息子をこよなく愛した亡き母、
そして大勢のご先祖様たちが、手を差し伸べてくださったとしか考えられない。

夕方、しおれ始めた野ぼたんを幹から切り取り、花のついた枝を花瓶に生けた。
仏壇に向かって、家族全員で手を合わせた。
「ありがとうございました」と子どもたちが花に向かってお礼を言った。
本人も神妙な面持ちでしきりに仏壇の鈴を鳴らしていた。

実はこの日、家族全員で遠方の親戚の家に行く予定があった。
息子が夜勤の仕事を終えて戻ったら、すぐ出発するつもりで準備していたのだ。
もちろん旅行は取りやめになった。
息子が寝不足で長時間のドライブをする危険を、この子の事故がとめてくれたのではないか‥
という気がしてならない。

by bajiao1313 | 2009-07-25 10:54 | 文男さんのこと | Comments(4)

とうもろこし

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とうもろこしといえば切ないような、おかしいような思い出がある。
子どもの頃夏休みは妹と2人で、田舎の家で過ごすのが恒例になっていた。
父が送ってくれるが、一泊すると帰ってしまう。

おじたち、おば、長老のような風格の祖父、明るくやり手で大家族を牛耳っていた祖母。
同じくらいの年のいとこたちが4人いたので、6人での遊びはダイナミックでおもしろかった。
川遊び、神社までの探検、広い中学校校庭での学校ごっこ‥‥
一人づつ袋を渡されてイナゴ取りにも行った。食料にするのだ。

東京の4人家族の我が家とは全く違う世界だった。
それはなによりも食事時間に現れた。

田舎の大家族の質素な食事だから、おかずはあまりない。
ご飯をたくさん食べる献立なのだ。
おじたちは仕事があるから、さっさと食べてはどんどん出て行く。
商売をしている家は、忙しくこのようなものだ。

ところが、母は山の手育ちの都会人。
私達は日頃から以下のように躾けられていた。

「よそへおじゃましたときはね、
お代わりをください、などと自分から言ってはいけないの。
お給仕する人からお代わりを勧められたら、一回は断りなさい。
で、もう一回いかがですかと、重ねて勧められたら初めて、
ではいただきます、と言いなさいね」
と教わっていたのである。

忠実にその教えを守った私、もちろん妹は私の通りにする。
おばが「OO子、ご飯のお代わりは?」と聞く。
「もういいです」と言う。
「あ、そうかい、ずいぶん小食だね」で、終わってしまう。
もう一回勧めてくれないのだ。まだお腹がすいているのに‥‥。

で、おやつが待ち遠しい。
仕事休憩のおじたちも含め又大勢でのおやつだ。
畑からもぎたてのとうもろこしがよく出た。
大きなざるに山盛り盛られて、湯気が出て実においしそう。
しかし、ここでもお代わりを2回は勧めてくれない。

「都会育ちの子は口がきれいだね」などと言って、おばが感心している。
誰もこんな子どもが、まさか遠慮をしているとは思ってもみなかったのだ。

久しぶりにわが子と対面した母が、日にやけて元気そうなのに、
なぜかやせているので不審に思って色々問いただして、
やっと原因が判明したわけだった。

子どもは遊びに夢中になるから、空腹感もそのときだけ。
胃袋も小さくなっていたのかもしれない。
そんな不器用な子どもだった私。

by bajiao1313 | 2009-07-19 17:55 | 文男さんのこと | Comments(2)

葡萄棚

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昔はあまり果物が好きではなかったが、今はよく食べるようになった。
柔らかくみずみずしく、消化がよく、甘くておいしい。種類が豊富で味も様々。
すばらしい食べ物だと思う。

子どもの頃我が家には、立派なぶどう棚があった。
器用な父が趣味で栽培していたのである。
春、白い小花が咲き、初夏1センチくらいのぶどうの赤ちゃんがたくさん出てくる。
それが日に日に大きくなって夏の終わり頃には、黄緑に透きとおるマスカットが実った。

甘い香りが漂い、蜂が集まってくる。食べごろになった実から小刀で房を切り取って食べる。
重い房をてのひらに乗せ、そっと切り取る。
いつも有島武郎の“一房の葡萄”という小説を思いだした。

収穫期はいっせいに熟す。毎日、毎日たくさんぶどうを食べた。
うちのぶどうの食べ方は種を出さない。
一粒ずつ出していたのではたくさん食べられないので、
父が「本場の食べ方は種を出さないんだぞ」と、種ごと食べるように命令する。
ぶどうでお腹が一杯になる日が続く。

もちろんご近所にお裾分けをする。子どもの役目で、何回も配りに行かされた。。
それでも余ったぶどうを、あるとき母が「試しにぶどう酒にしてみよう」とガラス瓶に仕込み、
押入れにしまっておいた。
忘れた頃‥‥、突然押入れから「ボン!」と破裂音がして、皆びっくりして腰を浮かした。
きつく栓をしていた蓋が醗酵したガスで飛ばされたのだ。
おそるおそる飲んでみたら,とてもおいしかった。

果物の価値に目覚めたのは、10年ほど前フィリピンに2週間ほど滞在したときのこと。
当地の福祉施設を巡る学生のための研修旅行だった。
私もおばちゃん学生として参加した。

宿舎の食堂では、毎回心のこもった食事が供された。
食べ物は質素だったが、豊富な果物がいつも山盛りになって置かれていた。
暑い国なので水分と甘味をしっかり摂らなければいけない。
食欲のない日でも、必ず果物は食べるようにした。
フィリピンの果物は味が濃く、すぐに栄養分として吸収されるようだった。
特にバナナとグリーンマンゴーがおいしかった。
グリーンマンゴーの酸味が疲れた体をすっきりさせてくれた。

現在は毎日必ず果物を食べるようにしている。
面白いのは、時期によって食べたい果物が違うことだ。
今年の5月ごろは夏みかんがおいしくてたまらなかった。
昨日は桃を食べた。どうしても食べたいと、無花果に手が出ることもある。
体がほしがっているのだと感じる。

by bajiao1313 | 2009-07-11 11:00 | 文男さんのこと | Comments(2)